上地祐輔のファミリーヒストリーが放映されました。テレビでは父方の鬼のおじいさんと母方の仏のおじいさんが紹介されました。

 祐輔の父親克明は横須賀市議会議員。そして祖父は沖縄県宮古島の出身。2000年の電話帳を見ると、全国に2991軒の上地家が登録されていますが、そのうち1716軒は沖縄県在住。沖縄県では24番目に多い苗字です。
 その沖縄県でも、とりわけ多いのが宮古島。宮古島市下地には上地という場所があり、この地が宮古島に住む上地姓の発祥地です。宮古島上地の発音は「ウイズ」で、上地姓は「うえち」と呼ばれています。祐輔の家は沖縄県を離れたあと、読み方を「かみじ」に変えました。

 雄輔の先祖は宮古島周辺の海を支配した与那覇勢頭豊見親(よなはせどとぅゆみゃ)。その子孫は白川姓を名乗り、宮古島の士族として島内の主要な官職を独占しました。江戸時代(1603-1867)までは特権階級だったのです。

 上地家のような沖縄県の苗字について詳しく調べるには、まずは『角川姓氏家系歴史人物大辞典 沖縄県』を読むことをオススメします。大きな図書館には置かれています。同書の上地姓の項目を見ると、宮古島市下地上地から発祥した上地家が宮古島全域に広がったことが分かります。ほかに沖縄市などにも上地地名があり、沖縄県各地の上地地名から生まれた系統を異にする上地家がありました。沖縄本土の上地家のなかにも宮古島の上地家と同じように琉球士族だった家がありました。

 沖縄県では父系で結ばれた同族を門中(もんちゅう)といいます。
 士族の場合には1689年、琉球王府に系図座が置かれ、系図奉行のもとで家譜が編纂されました。宮古島や八重山諸島でも1729年から同様の家譜が盛んに作成されました。これらの家譜については『沖縄門中大辞典』(宮里朝光著 那覇出版社 2001年)に詳しく書かれています。同書の原典としては昭和37年(1962)に編纂された『琉球祖先宝鑑』などがあります。鹿児島県の奄美大島に住んでいた家なら『奄美大島諸家系図集』が役に立ちます。

 何から手を付けたらいいのか分からないという人は、まずは戸籍・除籍の取得からということになりますが、沖縄県の場合は八重山を除いて古い除籍が戦災で失われているため、戦後に戸籍を新編製した経緯があります。そのため、古い除籍の入手は困難です。まずは沖縄県に親戚がいたら、一族の古老から昔のことを聞き取り調査することから始めると良いでしょう。

 テレビでは鬼のおじいちゃん上地恵祐と仏のおじいちゃん山守義雄の軍隊時代の話が紹介されていました。彼らのように戦争に出征した人の軍隊時代の経歴は「軍歴簿」を調べると、どこの部隊に属してどこで戦い、階級が何年何月に進級し、いつ除隊したかが詳細に分かります。上地恵祐のような沖縄県から出征した陸軍軍人の軍歴簿は現在、沖縄県公文書館に保管されています。ほかの都道府県のものは都道府県庁にあります。祖父などの軍歴に興味がある方は取得されることをオススメします。出征した軍人の子孫や甥・姪であれば無料で取り寄せることができます。

 仏のおじいちゃん山守家は四国から大阪へ出てきたと紹介されていましたが、山守家が圧倒的に多いのは愛知県の東部です。四国には愛媛県に数軒あるだけなので、この四国の山守家はもともと愛知県出身ではないかと思われます。
 山守姓のなかには第15代応神天皇の子孫という名家もあります。