NHKの朝ドラ『ちりとてちん』 で初主演を果たし、いまではテレビですっかりおなじみの貫地谷しほりさん。
 彼女の苗字も少ない。彼女は東京都の出身ですが、父方のルーツの地は 広島県東広島市西条町寺家(じげ)。2000年の電話帳では全国に貫地谷姓の登録が7軒しかなく、そのうち4軒が寺家に集中しています。この寺家こそが、全国にいる貫地谷一族の故郷なんです。

 寺家は西条盆地の北寄りにあり、この地が鎌倉の永福寺の荘園(私有地)だったことから寺家と呼ばれるようになりました。地名は南北朝時代(1333-92)から記録に登場し、熊谷・毛利・宍戸・尼子・黒瀬・粟屋・阿曽沼・出羽・児玉・石井氏と領主が変わってゆきました。江戸時代(1603-1867)になると広島藩浅野氏の支配地となります。明治初期には501軒の家があったと記録に見えますから大きな村落です。

 さて貫地谷姓ですが、一般的に〇〇谷という苗字は屋号系といわれています。たとえば秋田県の加賀谷・能登谷、青森県の三国谷などは、いずれも商家出身といわれ、出身地+屋を谷に変えて苗字にしたもの。加賀は石川県、能登は石川県の能登半島、三国は福井県の三国湊です。それらの地から北前船の交易などで秋田や青森に移り住んだ家がこういう苗字を名乗りました。
 貫地谷もこの法則でいくと商人で、元々は貫地屋ということになりますが、商人の屋号で貫地という例を聞いたことがありません。ただし貫地地名+屋ならあり得ます。

 貫地谷姓を地名発祥と推測すると二つの仮説が成り立ちます。一つは漢字から推理した説、もう一つは読み方を重視した説です。
 まず漢字から推理すると、貫は中世の貫高制と関連しているでしょう。貫高制とは、ある耕地から徴税される年貢を銭に換算した単位のことをいい、静岡県磐田市壱貫地や新潟県三条市三貫地新田などという地名が各地にあります。もし貫地谷の貫地がこれらの地名と同じ意味であれば、貫地谷とは、一貫文の銭に換金できる農作物が採れる谷あいの土地という意味になります。一貫を米に換算するのは年代や地域によってばらつきがありますが、米1石3斗~10石の間になります。これが一貫地の全部の収穫量ではなく、そのうち税として支払われていた米の量と考えるべきでしょう。
寺家の周辺に貫地という地名があり、そこ出身の商人が貫地屋と名乗り、それが貫地谷に変わった可能性があります。


 また「かんじや」という読み方にこだわると、古い日本語の大和言葉で「かん」は「山が崩れた場所」のことをいい、「じ」は「ぢ」で土地や場所のこと。「や」は「やつ」で小さな谷です。これをつなげて地形にすると「山が崩れてできた谷間」ということになります。そういう場所を貫地谷と名付け、そこに住んでいた人が貫地谷と名乗ったという考え方です。

 どちらが有力かは微妙な感じですが、前者のほうが由来としては面白いと思います。このように苗字の由来をいろいろと推理するのは楽しいことです。

 なお、彼女の「しほり」という名前も変わっていますが、これは漢字の栞に由来するそうです。しかし人名漢字に栞がなかったため戸籍には使えず、姓名判断の占い師に相談して「しほり」になったそうです。ちなみに現在は人名漢字に栞がありますので使えます。