ピース又吉のファミリーヒストリーが放映されました。

 又吉姓は近年の電話帳によると全国に1399軒の登録がありますが、そのうち1249軒が沖縄県。沖縄県では26番目に多い苗字で、とくに浦添市を中心とした県南部に密集しています。ピース又吉の出身地である中部の名護市は少ないほうですが、それでも71軒。又吉家の住んでいた汀間(ていま)は明治36年(1903)の戸数が88軒で、そのうち30軒が琉球士族でした。半数近くが士族なので彼の家もご先祖は武士だったかも知れません。士族でなかったとしても「居根屋」という屋号を使っているということは、村の草分け(最初の開墾者)であったことは間違いありません。戦後は貧乏だったとテレビで報じていましたが、江戸時代までは裕福だったと思います。

 ところで又吉宝善のハワイ時代が前半部分のテーマでしたが、沖縄県からハワイへ移住した人の名簿は『沖縄県史 7 移民』に歴史が記され、『沖縄県史料』に移民名簿が載っています。この名簿の出典は外交史料館の記録です。

 外交史料館には「ハワイ日本人移民関係記録」という文書があり、これをみると移民の足跡がおおよそ分かります。この文書は 昭和62年(1987)に在ホノルル日本国総領事館から外交史料館に移管された記録で全117冊。移民の本籍、住所、生年月日を始め、ハワイ渡航後の配鼻先(プランテーション名)、その後の動静、身分関係に関する記録などが書かれています。ほかに『移民百年記念 ハワイ島日本人移民史』という文献もあり、この本には『全島日本人人名録』(1909年刊行)、『ハワイ島日系人人名録』(1941年刊行)が収録されています。山口県大島郡周防大町には日本ハワイ移民資料館もあります。

 テレビでも報じていたようにハワイにも日系人の家系図作成組織がありますが、彼らが調べているのはおもにハワイ渡航後の記録。外交資料館の記録とハワイにある記録をつなげると、テレビのようにかなり具体的なことまで分かります。

 ところで日系人は現在、ブラジルに130万人、アメリカに100万人いるといわれていますが、それぞれの国に移民史料を保管している施設があります。

ブラジル
 まず
ブラジル・サンパウロにあるブラジル日本移民史料館には約2万8000点の移民関係文書が所蔵されています。文献としては『伯剌西爾行移民名簿』があり、この本には1908年(第1回笠戸丸)から1941年(第306回ぶえのすあいれす丸)までに、日本からブラジルへ集団移住した人の氏名などが掲載されています。『日本・ブラジル交流人名事典』(1996年)、『ブラジル日系紳士録』(1965年)もあります。

北米

 アメリカ・ロサンゼルスに全米日系人博物館があり、戦時中の強制収容所の名簿から家族情報を知ることができます。文献としては『日系移民人名辞典 北米編』(復刻版)があり、この本には『在米日本人人名辞典』(1922年発行)『布哇日本人銘鑑』(1927年発行)『加奈陀在留同胞総覧』(1920年発行)が収録されています。また『米国日系人百年史 在米日系人発展人士録』(1961年)、『全米日系人住所録』(1949年)なども役立ちます。

日本での調査
 移民をテーマにした施設としては横浜市に
海外移住資料館があり、およそ2万点の文献や文書が所蔵され、1900年代前半にアメリカ合衆国、カナダ、ブラジル、アルゼンチンで発行されていた日本語新聞20紙を閲覧することができます。

 しかし移民史料をもっとも豊富に所蔵しているのは、やはり外交史料館です。
ここにある
「海外旅券下付返納表進達一件」100冊を調べれば、明治元年(1868)以降に外国へ渡航した人の人名、年令、本籍、事故、公私費用の別、入港名、滞在期間、免状(パスポート)渡年月日、帰朝年月日、免状返納年月日記載などを知ることができます。

 あなたのご先祖やご親戚が又吉宝善のように外国へ移民していたとしたら、まずはこれらの機関・文献・記録で情報を集めてみてください。

 ついでに
沖縄県人の苗字について。
 沖縄県では寛永元年(1624)薩摩藩の「大和めきたる名字の禁止」によって本土とは異なる3文字姓が創姓され、沖縄本島以外の島では1文字が使われました。恵俊彰(タレント)や元ちとせ(歌手)・与勇輝(人形作家)などがこの1文字姓を現在も使っています。しかし沖縄の苗字は明治以降、本土流の2文字に変えたり、一般的な苗字に変えられたものもありました。戦後に改姓した家もありました。


 又吉姓は2文字ですが、古くから沖縄の記録に見える由緒ある琉球苗字です。