ファミリーヒストリー あなただけの歴史

~誰でもできる簡単家系図作成講座~

カテゴリ:ファミリーヒストリー > 藤原紀香

武夫の妻春子は、

海草郡川永村(和歌山市川永)の杉山家から嫁いできました。

川永村出身の杉山といえば、杉山金太郎(1875-1973)が有名です。

金太郎は豊年製油の会長として食用油製造で成功した人物です。

豊年製油は現在、J―オイルミルズと社名を変更して「味の素」を販売しています。

この金太郎と春子の家は親戚ではないかと思われます。

NHKがそこまで調べたかどうかは分かりませんが、

もし調べたとしたら、つながりを見い出せなかったか、

満州から話がそれるのでボツネタにしたのでしょう。

 

このようにファミリーヒストリーを調べると、

どんどんいろいろな人物とのつながりが見つかります。

それがこの趣味の楽しみのひとつです。

武夫・春子夫妻の満州黒石屯和歌山郷での生活や、

引き揚げの様子については、

文献で調べるのと同時に、

和歌山郷から引き揚げてきた体験者を探すことになります。

そこでまず考えられるのは、

和歌山県拓友会です。

この組織は満州から引き揚げてきた人たちの親睦団体です。

ほかにも和歌山県送出満蒙開拓殉難者物故者慰霊碑建立委員会という

組織が結成されたこともありました。

満州引揚者もすでに高齢のため、会としての活動は、

行なわれていないと思われますが、

こういう組織の会員名簿や会報から

武夫の知り合いと思われる人物をピックアップして、

電話帳で生存を確認し、連絡をとる方法が考えられます。

 

また和歌山郷の住民のうち、いなべ町出身者は

横のつながりを持っていたと考えられます。

そこでいなべ町の教育委員会や公民館に協力を依頼して、

満州から引き揚げてきた古老を探し出すという方法もあります。

番組でも武夫一家の隣人だったという老婦人が出てきましたが、

あの老婦人はそういう方法で見つけ出したのでしょう。

 

この調査を個人で行なう場合には、

後者の教育委員会や公民館を利用するほうが良いでしょう。

教育委員会や公民館の職員が関心を持ってくれれば、

協力者になってくれます。そうすればあの老婦人のような人物を

見つけ出せる確率が一気に高まります。

武夫が妻の春子さんと結婚したときの新聞が、

テレビで紹介されていましたが、

戦前の新聞には開拓移民の消息に関する記事がよく掲載されています。

武夫の結婚を報じたのは『紀伊新報』ですが、このような地元新聞は、

県立図書館かその新聞社を引き継いでいる新聞社に所蔵されています。

紀伊新報の場合は、現在の紀伊民報とつながっています。

和歌山県立図書館か紀伊民報で「紀伊新報」を読むことができるのです。

新聞記事は調べるのに時間がかかりますが、

思わぬ発見をすることもあります。

ある程度、日時が特定されている事柄であれば、

郵便で所蔵先にコピーを依頼することもできます。

 

武夫と春子の結婚記事についても、

武夫の婚姻日は除籍で分かりますから、

その1か月前あたりからの紀伊新報を調べれば、

記事にたどり着くはずです。

 

武夫の満州移住については、

和歌山県移民史』『満州開拓史』を読みます。

武夫が参加した第七次黒石屯開拓団には、

大阪・京都・奈良・和歌山・滋賀県民が参加し、

移住から引揚までの体験を自分史として出版している人もいます。

そういう自分史も武夫の暮らしぶりを知る上で参考になります。

自費出版が多い自分史は、

国立国会図書館や自分史図書館の検索で探します。

出版の記念に納本している場合が多いからです。

 

戦前まで和歌山県海外協会というものもありました。

その記録は県庁に引き継がれている可能性がありますので、

問い合わせます。

またいなみ町役場にも満州移民の記録があるかも知れないので、

やはり問い合わせます。

 

武夫たちの満州時代の生活については、

戦前に満州で発行されていた、

雑誌『開拓』(満州移住協会発行)や満州日日新聞を調べます。

これらも国立国会図書館で閲覧することができます。

遠方の人は国立国会図書館に問い合わせて調べてもらいます。

これをレファレンスといいますが、

レファレンスを行なうことによって、

自宅にいながら、

ファミリーヒストリーを調べることができるのです。

 

武夫の本籍地は和歌山県日高郡みなべ町。

みなべ町は2004年に南部川村と南部町が合併して成立しました。

藤原紀香は陣内と結婚したとき、

みなべ町東本庄の有名な紀州五代梅を結婚式の引き出物に使っているので、

旧南部川村東本庄が先祖の出身地と考えられます。

この地には現在でも数軒の藤原家が住んでいます。

 

そこでNHKは旧南部川村の郷土誌を調べているはずです。

代表的なものとしては『わたしたちの南部川』

などがあります。

この文献は和歌山県立図書館に所蔵されていますが、

読みたければ、自分の近くにある図書館に申し出れば、

和歌山県立図書館か国会図書館から取り寄せてもらえます。

このサービスは図書館相互貸出といい、。

これを使うとどんな本でも読むことが可能です。

番組では武夫以前の先祖については触れませんが、

さらに藤原家のルーツをさかのぼるのであれば、

2004年に刊行された『紀州日高郡南部庄内東本庄村御検地帳』があります。

これは江戸時代(1603-1867)の土地台帳を翻訳活字化したもので、

東本庄に住んでいた住民の名前を知ることができます。

 

次に武夫は紀南農業学校に入学しています。

この学校は現在、みなべ町の県立南部高校です。

学校には生徒の在籍記録である学籍簿がありますから、

これを閲覧すると、

武夫の在籍期間や成績・学習態度などを知ることができます。

学籍簿を見るには学校を訪問するのが一番ですが、

郵便でも父母や祖父母のものであれば取り寄せることが可能です。

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