女優の名取裕子さんは神奈川県横須賀市の出身。

 名取という苗字は地名から発祥したものです。
 名取地名で一番有名なのは宮城県名取市でしょう。かつての名取郡。記録によれば和銅6年(713)に「丹取郡」が「名取郡」と改められました。元の丹取とは、「丹」の採集地という意味です。昔は赤や朱色のことを丹色といい、朱色の砂土が取れるところを丹取といいました。それが名取に転じたわけです。
 なお愛媛県西宇和郡伊方町にも名取という地名がありますが、これは江戸時代(1603-1867)の宇和島藩主伊達氏が故郷の名取郡をしのんで名取浦と命名したことにちなみます。

 名取裕子さんの祖父、名取明さんは山梨県南アルプス市の出身。
 『姓氏家系大辞典』 によれば、山梨県を代表する名取家として名取忠愛のことが紹介されています。名取忠愛は大正時代に甲府市長を務め、昭和になると貴族院議員となりました。この名取家には「上野名取」と書かれた器物が多くあることから、ルーツは上野国(群馬県)の出身で、古代の上毛野氏の末裔ではないかと、『姓氏家系大辞典』の著者太田亮は推測しています。ちなみに名取忠愛の家紋は珍しい「久世橘」と「三階菱」です。
 ほかに甲斐国の戦国大名武田信玄の家臣にも 名取但馬(たじま)などの武士がおり、そのルーツは第56代清和天皇(850-881)の流れをくむ清和源氏といわれています。清和源氏の系統はこれまた極めて珍しい「丸に岩沢瀉(おもだか)」と「武田菱の内に花菱」などを使っています。
 名取裕子さんの家の家紋が「久世橘」や「三階菱」であれば、名取忠愛の一族でしょうし、「沢瀉」や「武田菱」「花菱」であれば、清和源氏の系統でしょう。同姓で同紋は同族といわれ、苗字と家紋を組み合わせることによって、ルーツを推測することができます。

 父親の勲さんが卒業した日本大学工業学校(現在の日本大学習志野高等学校)の学業成績書が出ていましたが、このように先祖の卒業した学校が分かっていれば、在学当時の記録を閲覧することができます。直接、学校に問い合わせてみましょう。

 勲さんの軍隊時代の履歴は、勲さんが千葉県の野戦重砲兵部隊に所属していることから、当時の本籍地は千葉県と思われます。だとすれば
千葉県健康福祉部健康福祉指導課から兵籍簿(軍歴証明書)を取り寄せて調べたのでしょう。

 母方の小方家のこともよく調べていましたね。
 まさかベアトの原町田(東京都町田市)の写真に裕子さんの高祖父甚吉さんと思われる人が写っていた話には驚きました。陣吉さん以後の三之輔さん(曽祖父)、高三さん(祖父)の事業については町田市や大和市の商工紳士録などを丹念に調べたようです。商売をしていた家は明治以降、各地で編さんされた商工紳士録や人名録に名前が載っているので、見つけるのは難しいことではありません。調べる商工紳士録や人名録は地元の図書館、小方家の場合は東京都の町田市立図書館や神奈川県の大和市立図書館に所蔵されている可能性があります。
 小方高二さんの名前は大正11年(1922)に刊行された『銃猟界』21号に見えます。この雑誌は国立国会図書館に所蔵されていますが、名取さんのおじいさんか、偶然同姓同名の方かは分かりません。

 いずれにしても今回は父方、母方ともによく調べられていて、見ごたえがありました。