石田純一さんの本名は石田太郎さん。お父さんはNHKの名アナウンサーだった石田武。祖父は現在の日本経済新聞社(中外商業新報)の花形記者として活躍した石田武太郎でした。

  石田家のルーツは大阪府富田林市。富田林村は江戸時代(1603-1867)、幕府の天領(直轄地)でしたが、石田家は庄屋(村長)を務める旧家でした。初代の石田重右衛門はもともと紀州藩士といわれ、慶長20年(1615)に起きた大坂夏の陣が終わると、幕府の天領となった富田林村に派遣されて、庄屋になったといわれています。この石田重右衛門がはたして本当に紀州藩士であったのかどうかは疑問ですが、紀州藩士の系図約15.000点は
「紀州家中系譜並ニ親類書書上」という名前で和歌山県立文書館に保管されています。この中から石田姓の系図を調べて、そこに石田重右衛門の名前が出てくれば、伝承の裏づけとなるでしょう。

 また石田重右衛門の家紋は「丸に違い鷹の羽」です。これは富田林市と近い大阪府八尾市の豪商だった石田家と同じ家紋です。八尾の石田家は近江国長浜市石田の発祥で、関ヶ原合戦で敗れた石田三成の遺児三利の子孫という言い伝えを持っています。石田三利のあとは新兵衛利正が現在の八尾市に移住し、小山屋の屋号で手広く商売を始めました。数代あとの石田善右衛門利清は学者としても著名で、享保12年(1727)には環山楼(かんざんろう)という儒学の私塾を開いて、八尾の学問の振興に尽くしています。
 もしかすると富田林の石田家はこの八尾石田氏と系図がつながっているかも知れません。

 ところで富田林村に住んでいた石田家の江戸時代の活動を調べるには、京都大学に所蔵されている「杉山家文書」が役立ちます。杉山家は石田家と同じく富田林村で名の通った旧家で、代々酒造業を営み、明治時代の明星派の女流歌人・石上露子(本名・杉山孝)を出した家柄です。「杉山家文書」は京都大学総合博物館で「村の記録」「酒屋の記録」として一部が公開されています。このような村方文書や商業文書を丹念に調べれば、庄屋クラスが署名した文書が通常はいくつか含まれているものです。ほかに『富田林市誌』『富田林市史』などの郷土誌、石田家のような地元の旧家に残されている古文書を整理した『富田林市史資料目録』なども目を通す必要があります。このような郷土誌調査を丹念に行うことによって、ファミリーヒストリーの手がかりが見つかることがよくありますから、じっくりと時間をかけて調べてみてください。それだけの価値はあります。

 最後に石田武太郎は早稲田大学政経学部を卒業後、中外商業新報に入社し、ワシントン軍縮会議(華府会議)などを取材して名を馳せます。昭和5年(1930)には編集局次長、その後、編集局長となりましたが退職して大阪府から衆議院選挙に出馬。しかし落選し、目黒区会議員に転じ、同会議長となりました。
 武太郎が書いた記事を読みたいときは、
『中外商業新報 復刻版(全12巻)』 (日本経済新聞社監修 柏書房 、2006年)その他、新聞データーベースを調べれば見つかります。

 石田純一さんのルーツが石田三成かも知れないという仮説は、富田林と八尾の石田家がともに違い鷹の羽紋を使っているという共通点だけですが、もしもつながれば歴史ロマンを感じます。